ソングライティングを担っている身として感じる最大の違いは、歌詞を書くのが管梓ではなく船底春希であるという点です。
なんだ、そんなことか、と思われるかもしれませんが、実はこれこそがエイプリルブルーとFor Tracy Hydeを隔てるとても大きなファクターです。
僕はこれまで自分の楽曲に自分で歌詞をつけないプロジェクトを一切やったことがなく、エイプリルブルーがはじめてです。
自分で言うのも変な話ですが、僕は良くも悪くもそれなりに強固な世界観と言葉筋を持っているため、自分で歌詞をつけてしまうとどうしてもFTH的なフィーリングが出てしまいます。
もともと春ちゃんのものごとの捉え方や自分にはない言葉筋の素直さに惹かれる部分があったのも相まって、差別化を図る上で春ちゃんが歌詞を書くことがエイプリルブルーの必須要件であると始動当初から考えていました。
歌詞を誰が書くのか、というのはそのまま書き手と歌い手の距離感、ひいてはリスナーとの距離感にもつながる問題です。
FTHの場合は管梓という人間のごく私的な経験や感傷を落とし込んだ歌詞をeurekaという他人が自分なりに読み解いて歌うことで人格を薄め、テーマを抽象化・普遍化しています。
それに対してエイプリルブルーは書き手も歌い手も同じ船底春希という人間です。
春ちゃんの感情を春ちゃん自身の言葉と歌がダイレクトに表すことで、エイプリルブルーはFTHよりわかりやすいエモーショナルさを持ったプロジェクトとして成立しているように思います。
どちらのバンドもそれぞれまったく異なるダイナミズムで動く生きものなのです。
さらに言うと、FTHの楽曲はワン・フレーズをとっかかりにメロディと歌詞が同時進行でつくられており、どちらか一方のみが先に完成していることがまったくと言っていいほどありません。
メロディと歌詞が互いを規定しあっているため、伝えたい内容を優先するあまり言葉数が多くなり、結果メロディも長くなることが多いです。
エイプリルブルーの場合はメロディのみに専念できるため、言葉の乗せやすさを気にせずに鼻歌感覚で自分がいいと思ったメロディをつくれるので、短いフレーズも少なからず出てきます。
正直に言えば歌詞が乗せづらいなー、僕だったら嫌だなー、と思うようなメロディを提出してしまうこともしばしばあるのですが、そこから先は春ちゃんの仕事なので僕はノー・タッチです笑
そんなこんなで初の本格的な共同作業者となった春ちゃんですが、いまのところ作詞家として期待を遥かに上回る働きを見せてくれています。
やはりできる人だな、と実感している今日この頃です。